「シンデレラ?」
「そう。不思議だと思わなかった?なんで魔法が解けてもガラスの靴だけ残ったんだとか。ホントにシンデレラ以外にあの靴履ける人いなかったのかって。」

何言ってんだこいつ、と目で語りながら綾那は少し間をおいてから答えた。

「…いや。」

と。


cinderella―二十四時の魔法はいらない―



「大変な目に遭ってたシンデレラが幸せになった、ってそれでいいじゃない。」
「そこよ!」

いきなり身を乗り出して大声をあげた順に驚き、綾那は後ろに仰け反った。

「そもそもそこが一番の疑問なわけよ。一緒に過ごした時間なんてちょっと、お互いに一目惚れ状態で相手のことよくわかんないまま結婚して、なんで幸せになれちゃうのかなぁ。」
「いいじゃない別に。なんであんたはそんなにシンデレラの幸せを否定したがるのよ。」

綾那がいい加減呆れたように言い放った。

「別に否定したいわけじゃなくて疑問よ疑問。で、綾那さんはそこのところどう思う?」
「シンデレラは幸せになった、それでいいじゃない。」

ちなみに、このセリフは二回目である。

「なーにー、じゃあ性格なんかわかんなくても美人がお嫁さんだったり、金と権力持ってる男を旦那にできりゃそれで幸せになれるっていうわけ!」
「別にそんなこと言ってないだろ!」

二人とも徐々にエキサイトしてきたが、綾那の「もう寝る」発言で会話は終了した。
…かに見えた。「ならあたしも寝る」と言って順が綾那の布団に一緒に入り込まなければ。

「自分の布団で寝ろ、バカッ!」

あっけなく順は布団から蹴り出された。

「なんて言うの、「バカ、自分の布団で寝ろ」て言われるのより「自分の布団で寝ろ、バカ」の方がダメージ大きいね。」

そう呟きながら、未練がましく綾那の布団をつかむ順の手を綾那がぴしゃりとはたいた。「さっさと離せ、バカバカッ!」と言いながら。



+++
つまるところ、順は綾那が好きなのである。
空気のように、そこにあって当たり前で必要不可欠な存在。
だから、ただ一人…綾那の特別になりたかった。
ただこの身一つに、綾那の愛の恩恵を受けたかった。
「愛」と言うと高級過ぎる感があるが、例えばそう、笑顔にしても他の誰かに向けられるのとは違う、特別な笑顔(綾那が笑顔になることは稀であるが)を願った。
誰かのためにそういうありふれた行為を特別にする力を、きっと愛と呼ぶ。
その愛がどうか自分に注がれるようにと。

好きになることそれ自体は、自分の気持ち次第だ。
しかし、誰かと特別な関係になることは自分一人ではできない。
気持ちだけでどうにかなるものではない。
そのことは順にもよく分かっていた。
自分の気持ちが綾那に向くだけでは駄目なのだと、綾那の気持ちも自分の方へと向かってくれなくては。
遠くから時々すぐそばから綾那を見つめては、順は綾那の胸中に思いを馳せた。
実際のところ、順の綾那に対する告白発言は幾度となく行われている。
しかし、雰囲気が雰囲気だけに常に冗談としか思われていないようだが。
これではいざ綾那に想いを告げるにしても、どう言ったものか。

寮の部屋に一人でいる時、部屋の前の廊下に人の気配を感じれば、それだけで綾那が帰ってきたのかと心躍ったり。
授業中はふと気づけば綾那の方を見ていたり。
もっとも、ほとんどの場合において綾那は寝ていたが。
部屋にいても綾那にちょっかいを出さずにはいられなかった。
綾那を怒らせ殴られる結果になろうとも。

それだけ綾那に対して好意をもっていながら、今一歩踏み込めないのは、拒絶されたらどうしようという諸々の不安からだった。
それらの不安に打ち勝つだけの勇気もなかった。
好意に限らず自分の本当の気持ちを人に伝えることは難しい。
綾那にはぐらかされない真剣さをもってして想いを告げるなど、考えただけで心臓は早鐘を打った。



+++
しかし、勇気が試される時は突然やってきた。
赤く赤い太陽の浮かぶ夕暮れの空と満月の見える夜の空が少しだけ入り混じった、そんな空の下を歩く放課後に。
二人は一緒に教室を出て寮に向かった。
二人一緒にというより、綾那に順がついてきただけという感じではあるが。

「綾那は授業中寝過ぎだよ。」
「そんなに寝てない。」

この会話が青天の霹靂を引き起こす。

「寝てるよー。一時間目の数学はずっと寝てたし。次の時間の英語はいつもみたいに辞書枕にして寝てたし。それに…」
「あんたこそ私のこと見過ぎでしょ。」

順もハッとした。
これでは自分が綾那のことを授業中いつも見てます、と自白してしまったようなものだ。

「別にいいじゃん。」
「良かないでしょ。ただ寝てるだけの私より問題ありでしょ。」

多分、売り言葉に買い言葉だったのだと思う。

「いいじゃん。だって…」

だって…綾那のこと好きなんだから見てたっていいじゃん。
いつものように言い放ってしまえば、ただ単に綾那を揶揄するだけの言葉だった。
そうだ。
そう言ってへらへらと笑って誤魔化して、綾那に怒られて終わるはずだった。
「だって」と言いかけた時に、絶妙なタイミングで綾那が振り返りさえしなければ。
思わず順は立ち止まった。
自分の視線と綾那の視線がぶつかったその瞬間に、この上ない愛しさと欲望を感じてしまった。

「だって?…何よ?」

夜の空気を運んでくる夕方の少し冷たい風が、順の背中を押す追い風だったのは気のせいではない。
今だって思えた。
夕方の朱色の光が順の顔に差していなければ、きっと綾那に顔の赤いことが悟られてしまっていたことだろう。
喉までその言葉は出かかっていた。
ただ、そのせいで息は詰まりそうだった。
呼吸が苦しいのか胸が苦しいのか、とにかく苦しかった。
こんな風に黙っていたら変な風に思われる。

結局、その場から走って逃げだした。

「おい!順!」

確かに風は背中を押した。
綾那が呼び止める声空しく、冷たい風と共に順は走り去って行った。

何となくだけれど、自分のせいだと思った。
振り返った時に、見てしまった。
何をって、順をだけれど。
ただ、今までに見たことのない久我順を。
具体的に言うと、例えばそう、自分の顔をみて赤みの増した顔とか。
赤い色を帯びた瞳とか。
夕暮れの太陽のせいかもしれないけれど。

寮の自室のドアの前、綾那がドアを開けようとしても開かなかった。
鍵がかかっているからではない。
鍵なら持っている。
順が中からドアが開かないようにしているからだ。
綾那は溜息をついた。

「おい、開けろ。」
「……」

何の物音もしない。
回らないドアノブに手をかけてガチャガチャ音を立てることが虚しくなった。

「全く…」

もう一度溜息をついてから、綾那はドアを背に座った。
無理やり開けても良かったが、とてもそういう気分ではない。

何となく静かになってから、順もドアを挟んで反対側で綾那と同じようにドアを背にして座っていた。

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