「そうそう、今日の夜にふたご座流星群がみられるんですよねー。」 廊下で前を歩く理科教師2人がそんな会話をしていた。その言葉を思い出したゆかりは、真夜中に1人、部屋着のまま寮を抜 け出した。歩きながら見上げた空には、既に幾筋かの流星が見えた。暗闇の校舎裏。そこによく知った彼女の、空を見上げる後姿を見つけて、ゆかり の足は止まった。 stargazer 「綾那。」 思わず口をついて出た言葉。 「ん、…ゆかり?」 綾那はコートのポケットに両手を入れたまま振りかえった。 「何してるの?」 何をしているのかは、だいたい見当がついていたが、ほかに会話の糸口が見つからなかった。 「あ、ふたご座流星群だっけ、星を見ようかと思って。」 こんな時間に、しかも吐く息も白くなるほどの寒さの中、誰かに会うことなどまさかないと思っていた綾那は、突然名前を呼ばれて、しかもそれがゆかりであることに驚いた。 「ふーん。」 「ゆかりも?」 「ええ、まぁ、そうよ。」 この寒さの中、普段ゲームばかりしている綾那が、わざわざ星を見るために外に出てくるなんて珍しいこともあるものだ。 「ところで、あなた、肝心の星は見えてるのかしら。」 「あー、うん、まぁ。」 「あなたねぇ、こうすればよく見えるでしょ。」 ゆかりは綾那のメガネを奪った。突然、鮮明になる綾那の視界。その視界に映るゆかりの顔。ゆかりの顔をまともに見るのは、ものすごく久しぶりに感じられた。 「あ。」 「どう?よく見えるでしょ。」 「う、うん。」 綾那の目によく見えていたのは、星ではなくゆかりだった。 「な、なによ。私の顔見てないで、星を見なさいよ。」 自分を見つめる綾那の視線に耐えられなくなったゆかりは、綾那から顔を背け、そっけなく言った。だから、綾那はゆかりの顔がわずかに赤くなっていたことには、気づかなかっただろう。そして、「ん、ああ、はい。」と答えた綾那の顔が赤くなっていたことに、ゆかりも気づかなかっただろう。 冬の澄み切った空気の中、2人が見上げた空に、瞬く間に現れては消えていく流星群。 ―その気になれば 空に浮いてる ホントの星でも 奪ってみせる― かつて綾那が口癖のように、こう言っていた頃が、ゆかりにはひどく遠い昔に感じられた。綾那の存在も、手を伸ばせば届くほどすぐ近くにいるのに、ひどく遠くに感じられた。こんなことを思っている自分の隣で、元刃友は何を考えているのだろう。 そんなことを思っていたゆかりの肩に、あたたかい温もり。 綾那が来ていたコートを脱いで、ゆかりの肩にかけた。 「なに?」 なんで自分は、こんなそっけない言葉しか綾那にかけられないのだろう。 「え、ゆかりが寒そうだったから。」 確かに、ゆかりは寒かった。 少しだけ外に出て、星を見てすぐに帰るつもりだったから、コートやマフラーなどの防寒は一切していなかった。 「でも、これじゃ、あなたが寒いでしょ。」 「でも、ゆかりの方が寒そうだし、自分が寒いことより、ゆかりが寒そうにしてることの方が嫌だから。」 ゆかりは何も言い返せなかった。自分は綾那に優しくなんかないのに、なぜ綾那は自分にこれほどまでに優しいのか、ゆかりには分からなかった。 「そんなこと言って、風邪ひいたって知らないわよ。」 口ではそんなことをそっけなく言いながらも、実は綾那のその優しさがとても嬉しかった。綾那の優しさに、寒さも忘れてしまいそうなほどに。 でも、楔束を解消してしまった今、その優しさを一番身近で感じているのは自分ではなくて。 星の瞬く間に消えてゆく、元刃友と過ごす時間。 流れ星が消えるまでに、願い事を3回唱えることができたら、願いが叶うと聞くけれど、とてもじゃないけれど、そんな時間はない。星は瞬く間に消えて行ってしまうのだから。 結局、そういうものなのだ。 星に願いをかけようとして、それが不可能であると知り、そして気づく。 願いは、星に唱えて叶えるものではなくて、自分の力で実現させるものであると。 綾那は、自分の右隣で空を見上げるゆかりを、横目で見た。 空を見上げているせいで、普段は顔の左半分を覆っている髪の毛が流れて、ゆかりの左頬の傷があらわになっていた。 「ん、何?」 綾那の視線にゆかりが気づいて、振り向いた。 「ゆかり…」 綾那が罪悪感に満ちたような、悲しげななんとも表現しがたい表情で、ゆかりの左頬に触れた。 「あ、綾那?」 触れられた左頬を通じて、悲しさというか切なさというか、そんな感じの気持ちが気持ちがゆかりにも伝染しそうだった。 「あ、ご、ごめん、ゆかり。なんでもない。」 綾那は右手を引っ込めた。 そして、ゆかりから少しずつ離れて行った。 流れて行く星達。手を伸ばせば届く気がした。 でも、届くはずもなかった。 遠く離れて行く大切な人。手を伸ばせば届く気がした。 もうこれ以上、遠くになんて行かせない。 ゆかりは手を伸ばした。 綾那の手に、あたたかい温もり。 「じゃあ、そろそろ戻りましょ。あなたに風邪ひかれちゃ困るし。」 綾那の手を取り、ゆかりは歩き出した。 たとえどれだけ離れてしまっても、また近づけてみせるから。 +++ 久我順は窓の外を見ていた。 「はー、綾那戻ってくるの遅いなー。」 独り言をつぶやいていたら、木の蔭から綾那がゆっくりと歩いてくる姿が見えた。 「おーい、あーやなー。」 窓を開けて綾那を呼んだ。が、呼んだ後で、木の蔭からゆかりも姿を現した。 「あ、…もしかして、あたし、空気読めてなかった?」 小さくつぶやいたが、時すでに遅し。 突然の順の声に、反射的にゆかりと綾那はつないでいた手を離した。 「じゃあね。」 手に持っていたメガネを、綾那に突き返し、ゆかりは足早にその場を立ち去った。 「ごめーん、綾那。せっかくの密会の邪魔をしちゃって。もう、星を見に行くなんて嘘言わないで、はじめから恋人に会いに行くって言ってくれればいいのに。で、君たちは、こんな真夜中にどこでなにしてたのかなーん?」 「お前は、反省してるのかしてないのかどっちなんだー!!」 「ぐはっ。」 綾那のカウンターパンチが炸裂した。 「あたー、すみません、今猛烈に反省しました。」 「ったく。」 「それよりさ、あんた着てったコートどうしたのよ。」 「はっ。コートっ。」 綾那はゆかりにコートを貸したままだということに、たった今気づいた。 「あ、染谷に貸してあげた。あ、そう。ほほーお。」 「分かってんなら、聞くなー!」 その頃、染谷ゆかり。 「はー、すっかり忘れてたわ。コート返すの。今日はもう遅いし、順もいるし、明日でいいかしら。」 +++ 次の日は休日。 順が夕歩のお見舞いに行くので、午前中に出発したのはすでに確認済み。 ゆかりは、昨日借りたコートを持って、綾那の部屋へとやってきた。 しかし、ノックをしても無反応。 ゲームでもしていると思ったのだが、どこかに出かけているのだろうか。ドアノブに手をかけてみると、ドアが開いた。 「綾那、いるの?」 中をのぞくとそこに綾那の姿があった。 ゲームのコントローラーを握りしめて、うつむいて座っていた。 この寒い日に、暖房もつけていない。 「寝てるの?」 「………」 返事はなかった。かすかな寝息が聞こえてきた。 カーテンの開けられた窓から差し込む光が、部屋を明るく包んでいた。 ゆかりはコートを、 眠る綾那の肩にかけた。 部屋から立ち去ろうと、立ち上がって、背を向けた時、 「ゆかり…」 と声がした。 ゆかりは振り返ってみたが、そこにいるのは相変わらず、うつむいたまま目を閉じた綾那。 「ゆかり、駄目だってば…」 「寝言…よね?」 しゃがんで、うつむいた綾那の顔を覗き込んでみた。やはり、その目は閉じられたままだった。このメガネをかけたまま、なぜ綾那はゲームができるのだろうか、果たしてテレビ画面は見えているのだろうか。 綾那と初めて会った時、まだ彼女がメガネをかけていなかったあの時から、一緒に過ごしてきた時間を、綾那はどんな風に心の中にしまっているのだろう。少しの間、そんな風にして綾那の寝顔を見ていたゆかりであったが、綾那の目がゆっくりと開いた。 綾那は目を開いて、顔をあげた。そこにゆかりがいた。 「ん……おわあああぁぁ!」 「な、な、何よ。いきなり。」 綾那が、目を覚ましたかと思ったら突然叫びだした。いきなり大声を出すので、ゆかりもびっくりした。 「あ、いや、ちょっと夢を見てて。」 「あ、そう。」 一体、綾那がどんな夢を見ていたのか、ゆかりはとても気になった。寝言で自分の名前を呟いていたのだから。しかも、目を覚まして、自分のことを見るなり叫びだしたのだから。 「あなた、私のこと呼んでたわよ。」 「えぇ!あ、いや、その…」 綾那は顔を赤くして言い淀んだ。 「昨日、コートありがとう。」 「ん、あ、いえいえ、どういたしま…」 そう言いかけた綾那の唇をゆかりが奪った。 陽だまりに落ちる、2人の重なる影。 ゆかりは綾那の首に腕をまわして、ゆっくりと床へ押し倒して行った。 |