ストライクゾーンに変化球 その日の夜、順は本やらビデオやらの1日を退屈せずに過ごすのに十分であろう荷物を抱え、増田恵の部屋に向かうべく廊下を歩いていた。 その道すがら、自販機の前で何か買っていこうと、両手に抱えた荷物を一度床に下ろそうとした。 しかし、バランスを崩して不運にも荷物の山は、順の腕からばらばらと落下して行く形で床に落ちた。 しかも、山の頂上に載せていた財布から、口が開いていたのか落ちた拍子に開いたのか、ばらばらと小銭が散らばった。 「あー…」 散々たる状況を前に、とりあえず順はお金から拾い始めた。 しかし、確かにあったはずの五百円玉が見つからない。 まさかと思い、自販機の下を見れば手が届くか届かないかの距離のところに五百円。 一円十円なら簡単に諦めもつくが、五百円はちょっと諦められない。 辺りを見回して誰もいないことを一応確認した。 そして、床に這いつくばって、埃だらけの自販機の下に順は手を入れた。 (届いた!指先だけだけど。) 手、というか指は届いたが、引き寄せるには距離が足りていない。 こういう時、無駄なプライドで頑張ってしまうのが人間というもの。 (あ、…あと…ちょっと…届け…あ、届いた!) そんな微妙な努力をして五百円をつかんだ順の耳に、床にどさりと何かの置かれる音が聞こえた。 はっとして自販機の下に手を入れたまま見上げると、綺麗にまとめられた荷物の山と、その隣にゆかりが立っているのが見えた。 「なにしてるのよ、あなた。」 「……染谷、スカートの中見えそう。いったーっ!!」 ゆかりは順を本で殴った。 それも本の角で。 「ほんっとに、あなたは。」 ゆかりが憎々しげに呟いた。 「冗談だって、見てないから。いや、ありがとね荷物拾ってくれて。」 「別に。それよりこんな時間に、こんな荷物持って何やってるのよあなたは。」 「いやー、今日明日は増田ちゃんの部屋に厄介になろうと思いまして。」 順は自販機に五百円を入れた。 「染谷こそ何やってんのよ。」 「別に何も。」 その言葉を聞いて、順がニヤニヤと笑いながら自販機のボタンを押した。 「えー、それはまずいんじゃない。”何も”って。ああ、これから?」 「何よそれ。」 ゆくりが幾分イラッとして答えた。 「ま、別に良いけど。あ、さっきも言ったけど、あたしは今日明日あの部屋にいないから。」 「だから何?」 「えー、その先をあたしに言わせるの?」 ゆかりとは対照的に順は楽しそうだ。 「別にいちいちそんなこと報告しなくて良いってことよ。」 「ああは。ま、そういうことだから。」 「ていうか、あなたそれ4本も飲むの?」 「んー、一本だけだよ。んで、これは増田ちゃんの分で、これは染谷のでこれは、染谷が好きな人にあげたら良いよ。」 順は良く冷えた缶を二つゆかりに渡した。 「……」 「じゃね。」 順は荷物を抱えて踵を返した。 「順。」 ゆかりが呼びとめた。 「ん?」 「忘れてる。」 「お。」 ゆかりは、手に持ったままの先ほど順を殴った本を返した。 「それから、…」 ゆかりの手が順の肩に伸びた。 「あなた埃だらけよ。」 そう言って、ゆかりは順の肩や髪についた埃を取ってあげた。 そういえば、自販機の下は埃だらけだった。 「ん、ありがと染谷。優しーね。」 「別に。」 「染谷は優しいよ。特に、綾那にはね。」 ゆかりの手が止まった。 「何よそれ。」 「んー?違った?あたしはそうだと思ってるんだけど。」 「一応、お褒めの言葉として受け取っておくわ。」 ゆかりの手が順から離れる。 「うん。ありがとね染谷。じゃ。」 順とは反対の方へゆかりも歩き出した。 「順。」 もう一度ゆかりは順を呼び止めた。 「なーに?」 順が振り返ると、数メートル先でゆかりが背を向けたまま立っていた。 「…ありがとう。」 「んー?何が?ああ、そのジュースのおごりは気にしないで。好きでやったことだから。」 順は笑いながら言った。 順には見えないゆかりも小さく笑っていた。 「それもだけど…」という言うのはあまりに野暮といえよう。 「何度も呼び止めてごめんなさいね。もう行っていいわよ。」 「はいはーい。おやすみ。」 時計は24時前。 もうすぐ日曜日、9月13日…綾那の誕生日になる。 |