悲しい記憶は、どこに行っても、何をしてても襲ってくる。
つらいことであればあるほど、忘れることはできない。
過去を書きかえることもできない。
過去には戻れない。
やり直せない。

でも、だからこそ、楽しかった思い出は、いつになっても楽しい思い出のままで、綺麗なんだ。
今の不幸に汚されたりなんてしない。


この体が過去に戻ることができない価値は、そこにある。


どうしようもない人生の中で、永遠に輝きを失わない綺麗な瞬間を求めて、戻れない時間を生きて行くんだ。

忘れることができないならせめて、あなたの記憶を輝きで満たして、不快な記憶など過去のものにしてあげたい。



one-way ticket



「夕歩。映画観に行こ!」

放課後のことだった。
教室を出た私を見つけるや否や、映画のチケットを2枚持った順が駆け寄ってきて、こう言った。

その時の彼女の笑顔に、幼い日の面影を見た気がした。
昔、幼いあの日、私を遊びに誘いにきたあの時の彼女の面影を。


映画館はひどく空いていた。
もともと、大きな映画館ではないし、今日は平日である。
最前列に同い年ぐらいの恐らく中学生4人と、右端の真ん中あたりにカップルが2人いるだけだった。
映画館で映画を見るなんて、いつぶりだろう。

開演告げるなんともレトロなベルの音が響いた。
最近、有名な映画だそうだ。
元々は小説だったとか。
ここに来る途中、順からそう聞いた。
暗くなる館内。



映画が始まって少しした頃。順の首が、かくんと傾いた。

順…寝てる。

映画が始まって、いくらもたっていないのに、寝てしまうとは。
順の寝顔にすごく懐かしさを感じた。
映画を見るのより、久しいかもしれない。
暗い館内。
映写機からスクリーンに向かってのびる光の帯の中に、塵が舞う。

スクリーンの薄明かりだけで照らされる、彼女の寝顔に思わず見とれてしまった。

起きている時、人間はいくらでも表情を作ることができる。
しかし、寝ている時はそうもいかない。
きっと今この瞬間この状態の順の表情が、素の状態なんだ。

一体何が普段、順にあんな諦めたような顔をさせてしまっているのだろう。
思い当たるものならいくらでもあった。
でも、それを抱える順の気持ちは分からなくて…


見る人が見れば、似ているといわれる私達。
たとえ似ているとしても、決して2人は同じにはなれない。

心も身体も、1つにはなれない。どんなに望んでも。

私は、スクリーンに視線を戻した。

………

目を開けたら、映画はもうクライマックスを迎えていた。
気づけば主人公が、ヒロインを救出している。


……
寝ちゃったんだ、私。

スクリーンが傾いて見えた。
傾いているのは私だ。
順の右肩に思いきり寄りかかって眠ってしまっていた。
急いで背筋を伸ばした。

「ごめん、順。私、寝ちゃって…」

言いかけて止めた。
順はまだ寝ていた。
疲れてるのかな。
映画のエンドロールが、少し寂しげな音楽と共に流れはじめた。




「順……順。」

順の体を揺すって呼びかけた。

「…ん。」

彼女の眼がゆっくりと開いた。

「順。もう映画終わったよ。」
「…へ?うそ!あたし、ほとんど観てないよ!」
「そりゃそうだよ。始まってすぐ寝ちゃって、今起きたんだから。」
「あー…せっかく観に来たのに…」

映画を見損ねたショックで、順は完全に目覚めたようだ。




映画館を出ると、そこはオレンジ色の光が注ぐ世界だった。
たった1つきりの太陽が、1日に何度も色を変えて行く。
その光で世界を彩る。
世界の色を変えて行く。
それだけで、世界は綺麗に見える。

「おー、きれいな夕日だねー。」

今、私が順と同じものを見ているということ、同じ時間を共有しているということ、私にとって、なによりも大切な時間。
同じものを見ていても、その見方、感じ方は私とは違うのだろうけれど。

涼しい風が通り抜けた。
長袖を着ていても、夜は少し肌寒さを感じる季節。

「そういえばさ、あの映画って、最後どうやって終わるの?」
「さあ。」
「えー、いーじゃない教えてくれたって。」
「教えてあげない。」
「あー、もしかして夕歩も実は寝てたんじゃない?」
「違うよ。順と一緒にしないで。」

確かに寝ていた。
順の肩で寝ていたことを思い出し、なんとなくとっさに否定してしまった。
それに実のところ、起きていた時も、映画なんてろくに見ていなかった。
でも、言えるわけないじゃない。
まさか、順の寝顔に見とれてたなんて。

「まあ、いーや。楽しかった?」

そう言いながら、順は私の右手を握った。

「うん。いいものみられた。」

映画じゃなくて、順のこと。


自分の手が順の手と繋がっていることが、多分私は物凄く嬉しかったんだと思う。
小さな幸せが零れるようなこんな日もなんだか良いなって、私に思わせる。

「順、また今度どっか行こうよ。」
「うん、そうだね。夕歩はどっか行きたいトコないの?」
「順が連れてってくれる所ならどこでもいいよ。」

順の記憶を輝きで満たして、不快な記憶を過去のものにしてあげたい。
できることなら、順の中で煌めくのと同じ輝きで、自分の記憶も満たしたい。



+++
「だから、教えないってば。」

その日の晩に、順が私の部屋にきて、あの映画がどんな話なのか、また聞いてきたのだ。
よほど気になるらしい。
私だって知らないし、その理由も言えないのに。

「あー、気になる。」

そう言いながら、順は右肩を左手で押さえながら回した。

「どうしたの?肩痛いの?」
「え?あー、いや、映画観に行って、あたしすぐ寝ちゃったじゃない。で、起きてからなんだけど、なんか痛いのよ。すごい肩凝ったっていうか。座って寝てたせいなのかなー。普段はこんなことないのに。」



あ…



「順。こっちおいで。」
「へ?」
「肩揉んであげる。」


思い当たる節があった。
多分、私のせいだ。
私が寄りかかっていたせい。
順は少し驚いた表情を見せてから、私に背中を向けて座った。

「ありがと、夕歩。」

順のその言葉が、心の中で優しく響いた。
色々と、本当にありがとうって言いたいのは、私の方なんだけど。

END 

「輝く瞬間を君と」と「ticket」という2つのSSが昔ありまして。「輝く〜」の冒頭部分を「ticket」
にくっつけて全体的に手を加えたのが本作になります。
タイトルはアメリカ英語で「片道切符」って意味です。イギリス英語だとsingle ticketです。 

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