光を浴びるものは、背中に影を背負う。
光を浴びるということは、影を背負うということ。
影を背負うということは、光を浴びるということ。



カンジョウセン 



「幸福の反対は不幸じゃないと思うの。」

それは何の前触れもなく紗枝が放った言葉。
哲学的な響きがした。
はたしてそれが隣にいる玲に向けられた言葉なのか、それとも独り言なのか少々判別しづらいところではあったが。

「なんだよ突然…」
「だからね、幸せじゃないことがイコール不幸だとは私は思わないのよ。」
「あぁ…」

ただの嘆息のような声で玲は答えた。
どう答えていいか分からない気持ちが、その音声に的確に反映されていた。

「幸せと不幸は一緒かもしれない。少なくとも同一直線上の対極にあるものではないと思うの。」

紗枝の幸福の哲学が玲を不安にさせた。
今、隣にいるその人は「不幸」なのかと案じた。

「あ、でも今が不幸とか悩みがあるとか不満があるとかそういうことじゃないのよ。」

紗枝が少し慌てて否定した。
自分の不安が顔にでも出てしまっていたのだろうか。
玲は決まりが悪くなって、紗枝から顔をそむけた。

「ただね、怖いのよ。」

不安は伝染する。
玲の不安が紗枝に伝染したのか、紗枝の不安が玲に伝染したのか。
最初に不安を感じたのはどっちだっただろう。
いずれにせよ”何が怖いのか”を聴くことが玲にとっては怖かった。
はたして目の前にいる彼女の恐怖を、自分が受け止めることができるだろうか。
しかし、今自分は知ってしまった。
彼女の恐怖の存在を。
手を差し伸べずにはいられない。
その理由を聞かずにはいられない。
目の前にいるその人は、大切な人であったから。

「紗枝、あのな…」

玲の手が紗枝の肩をつかんだ。
そこで玲はふと気付いた。
自分は何をするつもりなのか。
何を言うつもりなのか。
今、一体何ができる。
気持ちに思考が追いつかない。
言葉が続かない。
自分がもっと器用な人間だったら、気の利いた事の1つでも言えただろうか。
紗枝の肩をつかむ玲の手に力がこもる。
どうして大切な人の心に自分の手は届かない。

うつむく玲の耳に、紗枝が小さく笑うのが聞こえた。
玲が顔を上げるとそこにはいつもの笑顔があった。
その笑顔が玲には少し悲しげに見えてしまうのは、紗枝のせいか玲のせいかあるいは両方か。

「だから、大丈夫だってば。そんな顔しないでよ。」

紗枝はなおも笑って答えた。

「私ね、玲のそういう不器用なとこ好きよ。」

欠点と言ってしまえばそれまで。
だが見方を変えればそれは個性。
それに、せめて自分の大切な人ぐらいは、欠点ごと愛せる大きな愛で受け止めてあげたい。

「お前は器用だな。」

それは玲の率直な感想だった。
自分がダメだと思うところも含めて受け入れてくれる人がいるということは、すごく幸せなことだ。

「そう?」

玲の手が紗枝の肩から離れた。
それから紗枝はゆっくりと立ち上がった。

「なんか安心した。」

ここ最近で一番といっていいほどの笑顔で、紗枝は玲に笑いかけた。
”怖い”から”安心”までの紗枝の心境変化が玲には謎であった。
”安心”という結果だけが示された感じであった。
きっと、玲のそんな気持ちがまた表情となって表れていたのだろう。

「大丈夫だから。玲がそんなに困ることないのよ。」
「別に、そんな、困ってねぇよ。」

また自分の表情が雄弁に気持ちを物語っていたことに気付かされ、玲は半ばムキになって反論してしまった。

「ただ、お前が珍しく幸せだの不幸だの言いだして、怖いとかいうから…」

玲は紗枝に背中を向けて、言い訳のようにぶつぶつと小さく呟いた。


不器用であるがゆえに、気持ちをうまく表現できない。
だが、そもそも”気持ち”そのものがなければ、気持ちが表現できないことに悩むこともないわけで、不器用にはなれない。
不器用であるということは、うまく伝えられないだけでそこに気持ちが存在しているという確かな証明。
むしろ器用に言葉になどされてしまうと、それが本心か疑ってしまう。
だから玲にはこれからも不器用でいてほしい。
玲の背中を見ながら、そう思う紗枝であった。



END


SSを書くときは一番最初に適当なタイトルをイメージでつけるんですが、今回は「環状線」でした。
感情線とか感情戦というイメージも加えて、最終的にカタカナのタイトルになりました。

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