ガラスの階段 ―その先にあるもの―
「順が私のこと好きだったら、夕歩は私に好きって言ってくれないの?」
夕歩にとって、綾那のその切り返しは予想外であった。
いつか後悔することになるかもしれない。
でも、それはどこにいてもそう。
踏み外したって構わない。
ただ…、踏み外すにしてもそうでないにしても、あなたのいる道を選びたい。
「ううん。順が綾那のこと好きでも、それで綾那も順のこと好きだとしても、好きだって言うよ。」
冷たく吹く北風も、あなたの声を運ぶのなら温かく感じられる気がした。
気がしただけだけど。
+++
目が重い。
翌日の月曜日の朝、目を覚ました順が思ったのはそんなことだった。
原因は久しく流していない涙を、昨晩大分流してしまったからだ。
もっとも、そうできたのは綾那が部屋にいなかったからである。
綾那は恵の部屋に泊まっていた。
綾那がそうしたのは、ただ単に顔を合わせているのがつらいから、かもしれないし、順がためらいなく泣けるようにと思ってしたことなのかも分からない。
朝に綾那は順のいる部屋に戻ってきた。
「おあよう。」
眠いらしく、おはようもまともに言えていない状態だったが。
どうやら眠れぬ夜を過ごしたのは、二人同じのようだ。
それでも終わらない夜はないし、時間は止まらないし、学校生活はいつものように始まる。
すべては動き続けるということ。
立ち止まれば、置いて行かれるだけ。
ただ、どういうわけか時間は人を置いて行くことができないらしい。
+++
その日の午後には、すっかり二人の調子は元に戻っていた。
心の中に多少は引っかかるものを、いまだに抱えながらも。
「ねー、今度夕歩のお見舞い行く時、一緒にいこーよ。」
「あ?」
授業が終わり寮へと戻る道すがら、いつものようにへらへら笑う順はそんなことを綾那に言いだした。
「ほら、もう綾那があたしに隠れてこそこそと夕歩に会いに行く必要もないわけだしさ。」
「別に隠れてないし、そもそも病院には行かないことにしてるんだ。」
「なに?あんたたちあたしに見られたらヤバい位にイチャイチャしてんの?」
「うっさいわ!!!」
その言い合いは、綾那の一撃によって順が地に伏すまで続けられた。
結局、そうやってまた毎日が繰り返されていく。
その先にあるのが自分の望まない世界であったとしても、時間が止まれない以上、自分も止まることはできない。
つらさや苦しさや悲しさを吐き出すことも許されないままに、平気な顔をして踏み出さなければいけない。
時として、誰かの優しさに救われることあれど、「世の中良い人ばかりではない」という常套句を実体験から学びとることになるのだ。
世界がそういうものなのだと、知ってしまったのはいつだろう。
「世の中ってそういうものだ」と数え切れないくらい繰り返してきたくせに、今とは違う何かを求めて彷徨って、しかしやはり自分の望むものなど何もなくて、再び同じ台詞を心の中で繰り返す。
「自分の思うようにはいかない」
「世の中ってそういうものだ」
ただ、そうして生きて行くことを、諦めや妥協などというつまらない言葉ではなく、もっと素敵な言葉で表したい。
諦めと妥協を繰り返しながら、それでもなお前進し続ける生にふさわしい言葉で。
それはガラスの階段だった。
上るたびに、足元で透き通った綺麗な音がした。
下りる時にでさえも、その綺麗な音は響いた。
そして今、これまで聞いたこともないような綺麗な音を立てながら、美しく砕け散って行った。
これ程に綺麗ならば、壊れる瞬間さえ愛おしい。
それはガラスの階段だった。
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