ガラスの階段 ―踏み外す4段目―
「私ね…綾那のこと…好きだよ。」
それは夕歩が綾那に思いを告げた時の言葉と、奇しくも同じだった。
綾那は黙ったままだった。視線もテレビ画面に向けられたまま。ただ、ゲームのコントローラーを操作する手だけが止まった。
テレビ画面に浮かぶ、「GAMA OVER」の文字。
何かを言わなければいけないはずなのに、そういう時に限って何も言えなくなってしまう。
綾那の耳に、順が浅く息をするのが聞こえた。
口を開いたのは順だった。
「…って、言ったらどうする?」
「…お前…んな…」
綾那があからさまに大きな溜息をついて、順の方を向いた。
綾那の左腕を抱え込んだ順の腕に力がこもる。
綾那の目に映った順は、綾那の左肩にうつむいてもたれかかっていた。
「そしたら、綾那が困るってこと…知ってる。」
綾那は夕歩が好きだから。
そんな野暮なことを順はいちいち言わなかった。
言わなくても、順は分かっているのだということを綾那は分かっていた。そして、綾那が分かっているということを順もまた分かっていた。
それは悲しい以心伝心。
綾那はゲームのコントローラーを置いた。
「順。」
「うん。」
「私、夕歩のことが好きなのよ。」
「うん、知ってる。夕歩が綾那のこと好きなのも知ってる。」
「あんたが私のこと好きなのは今知った。」
「それはそうでしょ。今言ったんだから。」
テレビ画面に映っている「GAMA OVER」の文字がなんとなく不快に感じられたので、テレビを消そうとリモコンに手を伸ばした。
それは2人同時だった。
伸ばした手がぶつかった。
「なによー、夕歩に言いつけるわよ。」
「んな、べっつに………ったく…」
結局、綾那がリモコンを手に取り、テレビを消した。
「順。」
「なに?」
掠れた声で返事をした順は相変わらず、綾那の肩にもたれたまま。
どうか涙のこぼれたことが、見つからないようにと祈りながら。
「私はな、夕歩が好きなんだ。だから、あんたはもう私のこと好きでいる必要はないんだ。」
順の両腕から綾那の腕がすり抜けて行った。
綾那は立ち上がった。
「…何それ。追い打ちなのか優しさなのか分かんないわよ。」
ドアを開けて廊下へと出て行く綾那。
ドアを閉じる間際、順に背中を向けたままで呟いた。
「……おやすみ。また明日。」
「ねえ…もしあたしが夕歩より先にあんたに好きだって言ってたら、あんたはあたしのこと好きになってた?」
「もしかしたら、あんたのこと好きになってたかも…」
それはガラスの階段だった。
上るたびに、足元で透き通った綺麗な音がした。
下りる時にでさえも、その綺麗な音は響いた。
そして今、これまで聞いたこともないような綺麗な音を立てながら、美しく砕け散って行った。
それはガラスの階段だった。
+++
北風が吹いた。
「やっぱ屋上は寒いよ。戻ろ。話なら中で…」
白い布たちが舞い上がる。
「ううん。今話す。」
重ねられた夕歩の唇と、首に回された細い両腕と、色素の薄い長い前髪と、冷たい北風。
それが綾那に感じられた世界の全て。
目を閉じていればよかった、と綾那は思った。
そうすれば、胸が引き裂かれるほど切なげな色をたたえた夕歩の目が開くのを見ずに済んだのに。
「もし…私より先に、順が綾那に好きだって言ってたとして、それでも私は綾那とこうしていられたかな?」
耳元でささやかれた言葉は、北風の吹く音に負けそうだった。
北風に舞い上がった白いシーツがゆっくりと舞い降りる。
今以外の別の道へと踏み外していた可能性などいくらでも存在し得る。
踏み外す道はすぐ近くにいくらでもあるのだから。
逆を言えばそれは、たとえ踏み外してもやり直す道もいくらでもあるということなのだが。
「そんなの、分かんないわよ。」
「うんとは言ってくれないんだ…」
失敗せずに生きて行くことはできない。
しかし、失敗をする痛みを知らない精神のままでも、生きては行けないだろう。
そうなることを望む人はいないが、踏み外す経験というものが、それはそれで必要でもあるから生きることは難しい。
もちろん、踏み外したらそれが最後、やり直せない場合も存在する。
ましてや、限りあっていつ終わるともしれない人生、やり直す回数にも限度というものがある。
「順が私のこと好きだったら、夕歩は私に好きって言ってくれないの?」
|