逆説睡眠


「ねー、綾那。」
「ん?」
「机の上に置いてあるコーヒー取って。」
「これか。」

綾那は机の上に置かれていたコーヒーの缶を、ベッドから手を伸ばしている順に渡した。

「お前、ベッドの上でコーヒーなんか飲んでこぼすなよ。」
「だいじょぶ!」

綾那は再びゲームを始めた。



+++
「あああああああーーーーーーーーー!!!!!!」
「なんだ!うっさい!」
「やっば!布団にコーヒーこぼしちゃったよ!!早く洗わないと!!」

順は布団を抱えてベッドから飛び出し、慌てて部屋を出て行った。
綾那がふと時計を見ると、もう寝る時間であった。 

「もう寝るか。」

綾那が布団に入ってから、しばらくして順が帰って来た。その手には、布団はなかった。洗って、干してきたのだろう。綾那は目を閉じて、横になっていた。なにやら順がもぞもぞと動く音だけが、部屋に響く。

「あのー、綾那さん。」
「ん、なに?」

綾那が目を開けて振り返ると、枕を抱えた順がいた。

「すみません、今日だけ一緒に寝かせて下さい。」
「…」

綾那は黙ったままで、表情すら変えなかった。
真夜中の沈黙。むしろ耳に痛い。

「ちょ、ノーリアクション!?」

一緒に寝たいなどと言われても、普段なら釘バットでどついて断るところだが、綾那としても、今日は順に布団がないという事情を分かっている。しかし、すんなりと承諾するのも、危険である。なんといっても、相手は淫魔である。

「いや、ほんっとに何にもしないから!」
「ったく、しょうがないな。いいか、ホントに何もするなよ。何かしたら、極寒の屋外に放り出すぞ。」
「いやー、悪いねー。」

へらへらと笑いながら順が綾那の布団へと入って行った。

「お前が壁際な。何かあった時にすぐ逃げられるようにしておかないとな。半分よりこっちに入ってきたら、即追い出すからな。」
「はーい。」


+++
順は寝付けないままでいた。
一緒に寝かせてもらってありがたいのだが、これはこれで順にとっては困った状態でもある。
仰向けに寝ている綾那の横顔が、暗闇の中でぼんやりと見えた。
手を伸ばせば届く距離。
微かな寝息も聞こえる。
それに合わせて、胸が上下するのも分かる距離。

でも、一線を超えることを、許されない。

物理的にも、精神的にも。

順は綾那に背中を向けて目を閉じた。
そして、いつの間にか眠りに落ちていた。




順が眠りに落ちてからしばらくたった時。綾那は苦痛に襲われていた。

―右腕が痛い。

肩から腕にかけて。
それは夢の中。
右半身がコンクリートに埋められる夢だった。右半身を覆うコンクリートが、夢の中でどんどん固まって行った。痛みも増していく。

「!!!」

綾那は唐突に目を覚ました。
あれは夢だったのだと気づく。しかし、現実世界でも、今、何かが右半身全体に乗ってる感じがした。
そして、自分の右半身に覆いかぶさるようにして眠る順に気づく。

「この!!こっちに入ってきたら…」

綾那は右肩の上で眠る順をひきはがそうとした。
その時、順の寝顔が至近距離から、綾那の目にそして心に映った。
順を放り出そうとする気も、失せてしまう程鮮やかに。
体を起こしかけたはずみでめくれた布団を、順の肩にかけ直した。

雲の間から、月が出ているのが見えた。

(こいつ、ほんとに寝てんのかな?)

綾那は、順の顔にかかっていた前髪をかきあげた。
閉じた瞼。右腕に感じる、順の規則正しい呼吸。

(寝てる…のか?)

ふと、順の顔の横から出ている不思議な髪の毛が見えた。

(夕歩にもあるが、これ…どーなってんだ?)

引っ張ってみたり、しまってみたりした。

つむじ付近から出ている毛も、気になった。
そんな風にわさわさと順の髪の毛をいじっていたら、すっかり髪の毛がぐちゃぐちゃになってしまった。
綾那は順の頭を撫でて、直してあげた。


+++
「この!!こっちに入ってきたら…」

綾那の声に、順は目を覚ました。
気がつけば、綾那の肩の上で寝ていること、それに気づいた綾那の殺気が、今まさに自分に向けられていることを知る。

(やばっ)

しかし、順の予想に反し、綾那は何もしてこなかった。それどころか、自分の肩に布団をかけ直してくれた。

(もしかして、あたしが起きたの、ばれてない?)

順は心の中で、安堵の溜息をついた。
順は自分の額に、少し冷たい綾那の手が触れるのを感じた。
そして、自分の顔のすぐ近くに綾那がいるのを感じた。
何か、髪の毛をやたらといじられている。

(な、何してんだろ、綾那)

しばらく髪の毛をいじった後、綾那の手が止まった。
綾那の手が、順の髪の上を滑る。

(あー、なんか落ち着く)

人に頭を撫でられるのなんて、どれほど久しいことだろう。

+++
綾那は目を覚ました。明るい太陽の光が、窓から差していた。
順は相変わらず、綾那の肩の上で寝ていた。
綾那はゆっくりと順の身体を、自分の肩の上から布団へと下ろした。
が、順の右手が綾那の服をつかんでいた。

「…おい。」
「…ん…」

順はゆっくりと目を開けた。
綾那がベッドの上で体を起こしていた。

「離せ。」
「ふぁ?……おおおおぉぉぉぉーーー!!!ご、ごめん綾那!!違うの!これは手が勝手に…」
「言い訳はいいから、離せ。」
「あぁ、……怒んないの?」
「何?怒られたいの?あんたいつからそんな趣味に…」
「違うよ!」



+++
「順。」
「何、夕歩。」
「なんかいいことあった?」
「良いことって、別にそんなんじゃ…」

順が顔を少し赤らめながら、答えた。

「あ、綾那だ。」
「うそぉ!!」
「嘘。」

夕歩が指をさした方には、誰もいなかった。

「ゆ、夕歩…あの、違うの。別に綾那が、その、そんなんじゃ…」
「はいはい。よかったね。」

何もかも見通したように夕歩は笑った。



+++
綾那ははやてと一緒に廊下を歩いていた。
廊下の角を曲がって、すぐそこにゆかりがいた。

「!!!」
「あら、久しぶりね。」
「……ども…」
「どしたん綾那?今日はいつにも増して、ビクビクオドオドしてるね。」

実際、ゆかりを前にした今の綾那の動揺ぶりは、かつてなかった。

「し、失礼!」

そう言って綾那は、はやての襟をつかんで足早に歩きだした。

「綾那?なんか悪いことしたの?」
「してない。別に何もしてないぞ。」



END


タイトルの逆説睡眠は一般にレム睡眠と呼ばれるもので、
眠りの浅い状態のことです。


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